南の空へ [その他]
もう許して下さいってくらい暑い日が続いてますが
みなさん隊長・・・あっ違った体調は如何ですか?
わたすは、既に夏バテです。
さて!
宇佐市平和資料館にある物が展示されているので
見に行って来ました。
現在住宅街の一角に倉庫を汎用しての展示なのですが
本格的なミュージアムの建設を目指しての開設だそうです。
わたすの実家の近所だったりします。(^^;;
で、そのある物とは・・・
映画 『永遠の0』12.21全国ロードショー公開予定
の撮影で実際に使用された零式艦上戦闘機21型の実物大模型が展示されてます。
撮影終了後に宇佐市が買い取ったそうです。
それではその全貌をご覧下さい。
垂直尾翼にペイントされた『721-61』の721は、海軍航空隊 神雷部隊を示し
その神雷部隊は、宇佐海軍航空隊を意味するそうです。
その零戦21型のスペックたるや当時の戦闘機では例のない
高度3000mを500Km/h以上で飛び巡航距離は、3000km 離陸から高度4000mまで
3分30秒だったか?
その高速と軽快な動きと燃費で0ファイターの呼び名で恐れられてたのは有名ですよね。
そもそも零戦の制作に携わった技術者達は、現三菱重工、現富士重工、現横浜タイヤ、
現日産自動車 現カヤバサスペンションの技術者の結晶作品でもあったのです。
そりゃ~凄いもんが出来る訳です。
戦後 飛行機の制作を禁止された零戦の技術者達は、車作りに流れて行ったそうです。
零戦のエンジンを設計した人が後にスカイラインGT-R(ハコスカ)のエンジンを
設計したことをある本で知りました。
横道に反れましたが宇佐海軍航空隊は、元々パイロットの養成が目的で艦上爆撃機、
艦上攻撃機の練習航空隊として開隊したそうです。
昭和16年 12月28日 真珠湾攻撃に参加した航空隊がここ宇佐海軍航空隊に帰隊したそうです。
昭和20年 戦況悪化と共に特攻の中継基地として多くの航空機が宇佐に集まりました。
2月 宇佐海軍航空隊の110名の特攻訓練が命令される。
3月に入ると米軍機B29の空襲を受けるようになり多くの犠牲者が出ました。
4月~5月 第1八幡護皇隊が沖縄方面へ特攻出撃し81機 154名の若者が
南の空へ消えて行きました。
滑走路後です。
現在も点在する掩体壕は、10基の殆どは民家の納屋になってます。
滑走路後の延長線上にJR日豊本線を跨ぐ陸橋は、零戦の離陸角度で作られてるそうです。
田園の真ん中に伸びる1本の道
この南の空を見つめどんな気持ちで飛び立って行ったのでしょう・・・
この陸橋を通る度にそうゆう思いに駆られます。
そして今日も猛烈に暑いです。
2013-07-20 21:27
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コメント(14)
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廃墟ハンターもびっくりな濃密なレポですね。
あの博物館は土器だらけ?と思いましたが
こんな展示があったのね?
by 響 (2013-07-21 01:05)
響さん
土器だらけの方は、歴史資料館ですね。
平和資料館は、市内四日市の街中の団地の
入口にあります。
まだ物流の倉庫跡を利用しての開設でとても平和資料館って雰囲気ではありません。
うっかりしてたら見落としますよ(笑)
入館無料ですからUSA方面にお越しの際は
一度見に来て下さい。
あっくれぐれも土器の方に行かないようにね。(笑)
by もっち (2013-07-21 07:52)
いいレポありがとうございます(^0^)
感慨深いですね~。
by ローキン (2013-07-21 11:18)
ローキンさん
ですね。
3年前だったか?鹿児島の知覧特攻平和会館に行ってきました。
特攻前の遺書、遺品など多くの貴重な資料を前に
胸が熱くなりました。
特に遺書に綴られた字の綺麗なことといったら
これが19、20歳の若者が書いた字なのか?ってくらい
綺麗な字にまた胸が熱くなりその多くは、お母さんに
宛てられたものでした。
特攻・・・狂気の時代ですね。
by もっち (2013-07-21 12:12)
築城と太刀洗も特攻のパイロットを育成してた場所でしたもんね、近場にこんな戦争に触れられる場所があるって悲しいですね(T▽T)
by せつら (2013-07-21 23:58)
せつらさん
大刀洗も有名ですね。
僕も行って見たい場所なんです。
小さい頃から掩体壕は見慣れてましたが
歳を重ねていくにつれ凄い貴重な場所なんだなって
実感が大きくなって来ました。
僕が生まれる20年前には、実際にここで起こってた事実なんですもんね。
by もっち (2013-07-22 00:08)
あの急角度の跨線橋はゼロ戦の離陸角度だったんですね。
間近で見ると、ものすごく急角度ですよね。(゜_゜>)
by yosi (2013-07-24 16:16)
yosiさん
体の具合はその後如何でしょうか?
またボルトを取るオペとかあるのでしょか?
何にせよ十分静養して下さい。
まっ車で奥様と宇佐の方にでもお越し下さい。
映画公開前に一度見ておくのもいいかもですよ。
奥様同伴ならご案内しますが(笑)
by もっち (2013-07-24 20:45)
危なかった!
土器の方に行くとこやった(汗)
by 響 (2013-07-27 15:14)
響さん
危なかったですね。(笑)
しかし北九州の人なのにやたらUSAに詳しいですね~
しかも地元の人でもなかなか気づかないレアな物件まで・・・
昔、住んでた?とか?
by もっち (2013-07-27 22:17)
こんばんは〜、ここでもゼロ戦が。。(^^)
スカイラインのL型かな。、まさか栄を設計した人と同じとは。。知らんかったです。 自分もそのエンジンにのってたと思うと感慨深い。(^^)
by ひろろん (2013-07-30 03:22)
ひろろんさん
僕も詳しくは分かりませんがL型よりまだ前のモデルですね
ハコスカGTRに搭載されてたエンジンはS20型6気筒
DOHC 3連ウエイバーで155PSを叩き出す当時では
最強のモンスターマシンでGrA50連勝は、有名な話ですよね。
そのベースエンジンの設計者だと思われます。
ちなみにわたすも若い頃スカイラインGT-Sに乗っておりますた。(^^;;
by もっち (2013-07-30 21:06)
軍事のエンジニアの方々は
戦後、過酷な運命にあったり
その中でも、まさに戦後の日本の技術を作ったり
いろんなドラマがありますね
あの陸橋の角度に、そんな話があったとは!
今度通るとき気をつけてみます
by T2 (2013-07-31 13:23)
T2さん
ですね。
零銭の技術の恩恵は、現在の車やバイクにも色濃く
反映されてますね。
零銭の技術は、当時世界最先端の技術満載でしたし
ボディーを構成してたアルミ合金(ジュラルミン)は、現在のバイクに姿を変えてこれまた世界を代表するマシンとして生きてますしね。
あの陸橋を通る時は、必ず空を見上げてます。
by もっち (2013-07-31 21:58)